11月14日にTOEICを受けてきた。人生2回目のTOEICテスト。1回目は2003年くらいだから、ちょうど20年くらいぶり。
それだけに時間があれば、様々なことが変わる。阪神のスタメンは知らない選手ばかりになるし、日本代表にもはや中田の姿はない。
そもそもスポーツの好みだって変わるし、頭髪は薄くなるし、腹立って出てくる。不謹慎な話だが、身近で亡くなった人だって1人2人じゃない。
それだけ、20年という時は長い。
だから、その間にTOEICのテストが激ムズになっていたとしても何ら不思議ではない。むしろ20年という時の間に変化がない方がおかしい。難しめな方向での調整が行われていることは、グローバリゼーションの重要性が叫ばれる昨今の世論を考えれば十分に考えられること。
むしろ、難易度が当時のままであるはずがない。だとしたら、TOEICのヤツらは無能すぎる。国際人を増やすためにも、日本人をはじめとする非英語圏の人々の英語力を底上げするためにも、そのような改変が行われていなければおかしいのだ。
……という考えがTOEIC受験中に私のあたまに貼り付いた。まるで絆創膏のように。傷口を覆うように。そして今もピタッと貼られいるのだが、絆創膏で傷が癒えることはない。だから、今ここでその絆創膏をベリっと剥がしてみたいと思う。
TOEICムズすぎ!
こんなにムズかったっけ!?
なにこれ!?
全然分からなかったんですけど!
毎朝自習してた意味ないと思ってしまったんですけど!
1日15分の学習でも続ければ英語力は伸びると思ってたんですけど!
コツコツやってきたことだけは自信があったんですけど!
雨だれ石を穿つと思ってたら、石めっちゃキレいやったんですけど!
自信失ったんですけどーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
……ハァハァハァハァ
……と、傷口を晒したところで、なぜこのような怪我をしたのか考えてみたい。ズバリ、心当たりはある。
正直に告白しよう。ほぼ毎朝英語の勉強をしていたものの、実際のところ途中でまったく関係ないYouTube動画を見てることがあった。これだ……と言いたいところだが、大抵の英語学習者は多かれ少なかれあるかと思う。なので、個人的にそこまで致命的だとは思わない。それよりも……
勉強しながら「これ効いてるな〜」と思うことは少なかったことが重要な気がしている。
筋トレにしろストレッチにしろ、「ここに効いてるな〜」という感覚がなければ、どれだけやっても効果は薄いもの。同じようなことが英語学習に言えるということではないのか?
つまり、やりながらどこに効くかを考えることが大事なのであり、そのようなトレーニングが今までの自分には決定的に欠けていた……ということかと思う。
「英語学習と筋トレは似ている」とはよく言われるが、具体的には継続が大事だという意味や、頭よりフィジカル(英語で言えば口まわり)を使うという意味で使われることが多いように思う。だが、それだけじゃないのだ。
効いてるな〜と思いながらやることが大事という意味でも、英語学習と筋トレは似ているのではないだろうか。
……このような気づきをくれただけでもTOEICテストを受けた意味があると感じているのだが、新たな気付きは新たな悩みをもたらす。
何かというと、「これが一体何に効くのかまったくもって不明」と思いながら続けていたら結果的に伸びてた……ってことが、どんなことにもあるってことだ。
どこでそれを見極めたらいいのか?
わからん……。まぁそのあたりについてはまた後日の記事で紹介するとして、「効いていると感じるトレーニング」が重要なことは間違いない。だから今後はそのあたりを意識してやっていきたいと思う。精進します。
ちなみに、テストの結果とかは全く気になりません。早い話が、それくらいの出来でした。結果が送られてきたら公開しますが……傷口を見たくねぇ。
▼執筆▼